たわごと

 

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                             こんにちは

ワタクシがBeatles好きであるのはもはや隠しようのない事実。…別に隠すことはないですが。
ジャズメンでありながら、Beatlesセッションをやっております。

ジャズにはスタンダード・ナンバーという共通語があります。
レベルの差があっても、言語の壁があっても、共通語ということで共演が出来る。んーなんと素晴らしいことでしょう。
しかし、ロック(ポップス、ソウルなど)はというと、共通語というべき有名曲があっても、構成が複雑。

ジャズのスタンダードは「32小節のワン・コーラスを繰り返す」という基本をおさえておけばよいのですが、
ロックは、「アレンジがあり」、「進行が複雑」、「構成がややこしい」。
たとえば……
 AABAと歌ったら次は、AB。Aは、今度は1回ね。
 Aを飛ばして、ギターソロはCパートね。もう一度ABAと歌い、Dへ跳び、新しいパートを歌う。
 それからサビのBを3回繰り返して、エンディングへ。
 最後は、ちゃーん、タッタッタタ!とキメてね。

譜面に書いたら5ページくらいか? 見開きくらいのコンパクトな譜面にするため繰り返し記号を多発させると、
跳んだ先を探すのに、首振り ?(    )? 状態
一生懸命探していると、共演者の顔(^_^;)が見えない。楽しくないですよね。

えっ? 譜面読めない? 
ジャズ系はアマチュアでもコードを頼りに演奏するので、たとえ音符を吹けなくても、コード譜は読める。
しかし、ロック系アマチュアは、耳コピーでここまで来ているので、譜面に馴染みがない。
ジャズでおたまじゃくしを読むのはテーマをやる人だけで、ピアノもギターもベースもドラムも音符を読む必要がない。
しかし、ロック、ポップスは、歌はこのフレーズ、ギターはこのフレーズ、ピアノはこのフレーズを弾くと決まっていて、
それをやらないと曲が成立しないところがある。
ドラムもパターンが決まっていて、パートによって変わる。全員でのキメも多い。

ジャズメンのように、音楽を聴いて、コード進行なり「核」をつかんで、
適当に(テキトーではない)演奏するということに慣れていない。

 ね。大変でしょ? 
そこで、やる曲、アレンジ(なになにヴァージョンでやる、を明確に)、参加者を事前に決めておいて、
参加者各自が、お手本CDにあわせての練習を徹底しておいてから、セッションに臨むという方法をとるのです。
それで成功をおさめているものに、「ちっくセッション」があります。

Beatlesセッションもこの方式に倣い始まったのですが、参加者の皆さん、あらかじめ曲を決めていなくとも、
記憶力というか応用力というか、結構おありなので驚きます。
Beatlesと限定すると、たかだか213曲ほどの正式発表曲などほとんど知っているというファンはたくさん居ます。
Beatlesコピーバンドをやっていたという人も多い。
一緒にハウスを務めるオイリー北川氏もそうですが、「あれやろう」と誰かが曲を始めると演奏についてきます。
誰かが主旋律を歌うと、ハモってきます。
参加者も、各楽器パートをその場で出来るというのはなかなか難しいですが、(歌詞さえわかれば)歌えます。

日本人なら、「Day By Day」を知らなくとも「Yesterday」は知っている人の方が多い。
それほどの存在であるBeatlesに、改めて驚きます。
勿論みんなが知っているわけではない。音楽をやっている人でもBeatlesは門外漢という人はたくさんいます。
ただ、いちアーティストに限定すると、これほどの存在はないですね。
バンド形態というのもポイント。カーペンターズを「バンドで」やろうと言っても、そう簡単にはいきません。

何度かやりましたが、ハウスがしっかりしているので、上モノ(歌、ギター、ピアノ)だけの参加でも大丈夫です。
表現はよくないですが、準カラオケ的なノリで参加しても、いいのです。

各演奏家の自己表現であるジャズと、歌を中心にバンド・サウンドを聞かせるBeatlesとの違いですね。
バンド・サウンドをハウスとして支えるのも、これまた楽しいものです。
                                                               (Apr.5,2005) 

 

ワタクシが落語好きというのはもはや隠しようのない事実。敬愛する佐藤允彦師匠も落語好き。落語好きが高じて、
古今亭志ん弥さんの独演会を企画プロデュースし、前説から、出囃子までやってしまいます。
落語家さんにはそれぞれテーマ・ミュージック(出囃子)があります。中には「デイビー・クロケット」や「ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ」を出囃子になさる噺家さんもいらっしゃいますが、多くは皆様のイメージにある、“らしい”メロディ。古今亭志ん生さんは「一丁入り」、古今亭志ん朝さんは「老松」というタイトルの、いかにも!という出囃子です。
志ん生さんの「一丁入り」は、Dドリアンのモード曲としてジャズ演奏できるな!(わからない方、すいません。ワタクシのところでジャズ理論を習うと解るようになります(^_^;))と考えたワタクシ。「流石っ!」と自画自賛していたら、允彦師匠も同じことを考えていらっしゃったようです。
志ん弥さんの独演会では志ん弥さんの出囃子のほか、志ん生さんの「一丁入り」をピアノで弾いてくださいました。ちゃんと譜面を書いてきて、です。しかも、この世界的名編曲家は相当カッコいい“リハーモナイズ”を施してしまい、それだけでも一丁、いや、一聴の価値のあるピアノ・ソロにしてしまいました。脱帽っ!

志ん弥一夜 其の参目玉は、和田誠さん作の「創作落語」を志ん弥さんが演じるというもの。古典落語の名人志ん弥師匠は創作落語を演るのは始めてだそうで、演じる前は相当にナーヴァスになっていらっしゃったとのことです。ワタクシの感想は、古典落語にもありそう(?)でいて、博学で古今東西のエンターテイメントにめちゃくちゃ造詣が深い和田さんらしい展開の、この「鬼ヶ島」、相当楽しめました。笑いました。(^O^)/
演じて後、和田先生もステージに上がり、允彦、和田、志ん弥の3者にてトークショー。ここで原作と、志ん弥さんの即興による部分が明らかにされました。
和田先生いわく、「自分の書いたものだから筋は知っているし、そう笑えるものではない。だけど笑えたのは、志ん弥さんの即興の部分」。今後鑑賞される方のためにストーリーは申し上げませんが、「鬼」をキーワードに、駄洒落から慣用句まで“鬼尽くし”。允彦師匠による出囃子もCharlie Parker作曲の「鬼ソロジー」(Ornithology)という塩梅。和田先生が笑った分だけ、志ん弥さんの即興が活きているということです。
一方演者としては、作者を目の前にして、“勝手に”変えて演ずることへのジレンマがあります。しかし作者である和田先生は容認、どころか奨励します。允彦師匠すかさず「和田先生は“ジャズの人”ですから」。

ご存知のように和田先生はジャズに滅法詳しい。ご自分でも演奏、作曲などなさります。演奏家、またジャズ評論家を名乗る者以上に、「ジャズの楽しみ方」を知っている達人なのです。
ジャズの楽しみ方はいろいろあります。英語で歌われるスタンダード・ナンバーの歌詞内容を、訳して解るという次元をはるかに超えて、行間にあるものを読めるだけでもどれだけ楽しいか。
「お楽しみはこれからだ」の著者でもある和田先生は、ジャズで演奏され歌われるいわゆる“スタンダード・ナンバー”の中身をすみからすみまでご存知なのです。
“スタンダード”が世に出たミュージカル、ミュージカル映画、作詞家・作曲家の生き様からアメリカのエンターテイメント史まで、その重箱のスミ(アメリカに重箱はないですね)さえも知っている和田先生は、ジャズばかりでなくアメリカン・エンターテイメントを最も楽しんでいる日本人ではないでしょうか。

作者と演者の信頼関係、というと硬いですか。「作者」は、「この人ならどんな風に変えてくれるだろう」という「演者」に演じてもらいたいという、柔軟な姿勢でなければつまらない。「演者」は「演者」で、この人の作品を演じてみたいという、「作者」への惚れこみがないとつまらない。原作をヘンに変えては失礼に当たるのでは??などという“迷い”が生じては、「作品」の発展につながらないのではないか? と思います。
そう考えない原作者もいらっしゃるでしょうが、作品は出来上がった瞬間から一人歩きをすべきものという考え方が“ジャズ”ではないか? と考える次第でございます。                                  (Dec.7,2004)

 

敬愛する加藤慎一(b)氏のグループ、“B-Hot Creations”のCDのライナーを書かせていただきました。
加藤氏とはラジオの仕事で始めてお会いしましたが、既にマイク・スターン(g)を参加させたCDをリリースするなど、世界的に活躍する名手です。しかしながら(?)、お会いしてみると大変お茶目で素敵なお兄様。普通では共演などなかなか出来ない雲上人ですが、企画もので共演させていただき、さらにベーシストとしてこちらから依頼した仕事を快く引き受けてくれるという、大人物です。
このB-Hot Creationsは彼が続けているユニットで、本盤はNobie(vo)を入れたカルテット作。プロデューサーに「タカギくんにライナーを」と推薦してくださったのは、加藤氏本人。
ルーツはBeatlesという加藤氏、拙著『Beatlesの音』を気に入ってくれ、共演し、ともに飲み、どこか共感してくださったのでしょうか、ワタクシめにライナーをと言って下さいました。
だから、というわけではありませんが、このアルバムは素晴らしいです。
音楽を知らないジャズ評論家なら、高いところから「なかなかよいので、是非聴きたまえ」という姿勢で、詳細にわざわざ触れることなく書けばいいのですが、加藤氏もプロデューサー冨谷氏もそんなことをワタクシに望んではいません。
それでも不特定多数に向けられるべきライナーは、ワタクシなりに努めて客観的に書かせていただきました。
改めて主観的に言わせてもらうと、このサウンドはワタクシが目指す、ワタクシ自身の理想のスタンスに極めて近い。加藤氏もそう共感した(?)からこそ「タカギに」と言ってくださったのだと理解しています。
聴くが一番。言葉で説明するのは難しいですが、あえて言うと、
1.個性的なアイデアに満ちている。
2.かなり高いレヴェルの音楽であるが、演奏力が極めて高い。
3.それでも4人は持てる力の8割ほどしか出していない。
4.2割はそれぞれ、個性を出すため、リラックスするため、“あそぶ”ため、などに有効に使われている。
5.ジャズである。
6.ジャズではない(ジャズなど、逸脱している)。
 とまあ、こんなところでしょうか。
ライナーとは違って、思いっきり独善的に紹介したこの6つの項目から、共感するものを感じた人は是非聞いてみてください。                                                             (Aug.22,2004)
加藤さん、またあそびましょう。 

ジャム・セッションにて。
アマチュアの人はどうしても「音」が大きくなってしまう。緊張しているんだろうし、自分のことだけで精一杯だから無理ないと思う。しばらく演奏経験を積んでくるとその辺がわかってくるのだが、そうすると今度は音が小さくなる傾向にある。小さくなり過ぎるンである。
 「身の程を知った」ということだろうか? 「ワタクシのようなものが…」という謙虚な姿勢は、それは成長したということで悪くはない。だが、ジャズという音楽はリアルタイムで発せられる音に対して反応するワケで、共演者は「共演者の音」を聴いている。自分の演奏のためにも聴こうとしているのだから、フレーズや和音は勿論、ニュアンスだってちゃんと伝わらないと困るのである。
自分自身にも自分の音が聞こえているか? ヴォーカルは勿論、サックスだって伴奏を聴くことで自分の「音程を制御」している。ピアノなら、チューニングのアマい楽器でもイカンともし難いが、ギターは事前のチューニングをシッカリしなければならない。チューニング・メーターに頼ることで自分の耳が鍛えられていない、そんなことも感じるが、とにかく「その現場」においてBESTな状態に調整しておかねばならない。「自分の耳」を頼りに、「自分の耳」を信じて。
機械で測れない「音程」というのがあると思う(そうでなければジャッキー・マクリーン(as)にファンはいない)。
JAZZは「自己主張の音楽」だが、そのためにも自己管理には気を遣い、その上で「いいたいこと」はきっちり言う。それがウツクシイ姿だと思う。


 


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